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2020-08-07

暮らしと伝統と開発の間

フィリピン・ルソン島北部 コーディリエラ地方 イフガオ州 カバ村。

イフガオ州の州都ラガウェと、第二次世界大戦末期にフィリピン戦の指揮を執った山下奉文(ともゆき)大将が降伏したことで知られる町、キアンガンのちょうど中間あたりに位置する、雄大なイブラオ川が流れる谷合の集落。

ちょうど田植えも終わりかけの時期にお邪魔することになった。

苗運び
代掻き
苗を投げる 苗を投げ、その後田植えをする近所の人が集まり皆で作業する。
労働というより生きるための仕事。
田植え
田植えをする青年

私の父は集団就職で鹿児島から名古屋に出た。集団就職と聞くとゾッとする。働き盛りの18歳前後がごっそり居なくなるのだ。それは田んぼも祭りも続かないだろう。コーディリエレラでは日本に比べ多くの年齢層がいて、多くの人が外に出ている。我が家に遊びに来たカバ高校の教員であるアンブルスが「何故日本には人がいないのだ?」と言っていたのが印象的だった。私たち日本人は不自然に慣れてしまったようだ。

お土産の鴨 
友人のアンブルスが街を案内してくれた。
お土産にカモを持って行けと2羽もくれた。
鴨の血抜き 
アンブルスの家で子どもたちが捌いてくれた。日本では考えられない光景。
アンブルスが村の中を案内してくれた。 
この方は「日本人の伊藤さんを知っているか」と聞いてきた。
日本人を見たのは戦争の時以来だと言って、日本語の歌を歌ってくれた

外来のタニシとり 
実はタニシではなく、スクミリンゴガイと言う外来種のタニシのようなものを取っている。
稲を食べてしまうようで深刻だと言っていた。蛍光ピンクの卵を産む。
日本にも食用に持ち込まれたが、日本人の好みに合わなかった様で流通せずそのまま野生化してしまい、イネに被害がある様だ。
カラバオの代わり 
カバ村はもともと牧草地がありカラバオいて、田を耕していた。
牧草地が砕石工場にかわり、カラバオを放牧できなくなってしまった。
カバ村には見慣れない光景。
ここは昔カラバオが放牧されていた。砕石工場に代わり、牧草地が消え、カラバオが消えた。
伝統は静かに消えていく。
コーディリエレラの帰りのマニラの風景
マニラのあちこちで建設現場を見かける。カバ村の砕石場とつながっているのか、、、。

撮影:直井保彦 (2019年2月)

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コメント2件

  • 大崎 正治 より:

    どれも40年前マリコン村に住んで見聞きした風景を思い出します。

    このcottage worksを自分のパソコンに保存したいのですが、操作方法が分かりません。どうしたらよいのでしょうか。

    • cottageworks より:

      大崎先生!コメントありがとうございます!大崎先生の著書『フィリピン国ボントク村―村は「くに」である』で書かれた暮らしが、変化しているのだなということも感じつつ、それでも今なお残る村のみなさんの暮らしには、憧れのような懐かしさのような、そんな感情が残ります。

      パソコンへの保存、URLを「ブックマーク」に保存していただくという方法でできないでしょうか?また直接メールでもお送りしますね!!

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